ご遺体の枕元、あるいはご遺体の上に小刀かかみそり、はさみなどの刃物を置く習慣があります。これを「守り刀」といいます。死者が武士の場合に、枕元に刀を置いた名残であるとか、魔除けのため、死霊を封じ込めるため、など様々な言い伝えがあります。(浄土真宗系では不要とされています。)
ご遺体の枕元に小机を置いて枕飾りをしますが、そこに生前使っていた茶碗に山盛りのご飯に箸を立てたものを供える習慣があります。これを「一膳飯」や「枕飯」といいます。箸を立てるのは、故人のためだけのご飯であるという意味もこめられているようです。(浄土真宗系では不要とされています。)
棺の中に本物の貨幣は入れられません。江戸時代には実際に六文銭を入れたようですが、現在は紙にプリントをした模造品を使用することが多いです。六文銭は三途の川をわたるときの渡し賃であるといわれています。
死者が名残惜しくまた戻ってこないように、違う道をとってわからないようにする、という迷信が伝統として伝わっているのが理由です。
友引の日は東京都の場合は火葬場が定休日となっている場合が多いので、葬儀を行う事ができない場合が多いです。
昔、死者が胎児に影響を与えるのではないかと考えられたからです。それが言い伝えとして残っているのでしょうが出てはいけないというきまりはありません。
お釈迦様が亡くなった時に頭部を北に顔を西に向けている姿であった事から、故人の頭を北にして寝かせます。また、お部屋の状況により北枕にお寝かせできない場合は西向き、もしくは部屋の上座に頭を向けます。
昔は一人が箸で持ったご遺骨を順に次の人に渡していましたが、現在では二人で一組になってご遺骨を拾います。「箸渡し」は「箸」と「橋」の音が同じ事から、故人をこの世からあの世へ橋渡しをしてあげようという思いからきていると言われています。
仏教では新たに亡くなった方がいるとき、仏壇の開け閉めについてとくに説かれていません。浄土真宗においては、開けておくべきと言われております。一方、神道では、神棚を閉め、白い紙で封をするよういわれます。死は穢れであり、葬儀・供養によって神になると考えられており、その間は穢れが神棚に及ばないようにするためです。仏壇を閉めるといういわれは、神仏混合の流れから来ているのではないでしょうか。
必ず必要というわけではありません。近年では、生前愛用されていたお洋服で旅立たれる方が増えております。(浄土真宗では、死後すぐに成仏するという教えですから旅支度は行いません。)